第二章 少年野球チーム「若葉」誕生 HOMEへ

 そんな地域で産声を上げたのが少年野球チーム「若葉」であった。創立は今から遡ること40年以上の歴史を刻む。
 当時淀橋界隈は淀一、淀ニ、淀三、淀四、淀五、淀六、淀七と7つの小学校から成り立っていた。現在のように少子化などという現象も無く子供の数も多く、下町の風情を残していた。
 当時の梅月湯に置かれていたオート三輪、草ぼうぼうのアドベンチャーランドだった小西六の跡地。スタジオ0近くの旧拓銀の斜め向かいのプラモデル屋、エジソン。駄菓子屋、小林。そして文房具?&駄菓子?&プラモデル?のまつなみ。淀橋666番地には「弁慶」という名のかなり大きな(子供にとって)犬もいた。当時の淀橋地区には子供達が遊ぶ場所があらゆるところに点在していた。
 若葉も各学年ごとにチームが存在し、その力を如何なく発揮していた。
 平日は学校が終わると近所の鉄工所の空き地で「中村のおっさん」という方がコーチとして子供達の練習を見ていてくれた。そして練習が終わると子供達を引き連れ銭湯に行き「ちんちん会議」なるものをしていたようだ。
 自分は勿論のこと、当時の若葉の活躍を記憶に残している方がほとんど身近にいないため、ここからは平成10年に飛び、引き続き執筆させていただくことをご了承いただきたい。
 そしてその頃から西新宿界隈は少子化に伴い淀橋第六小から西新宿小学校へと校名が変更となった。

 

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